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我は兵を以て戦ひを決せん。塩を以て敵を屈せしむる事をせじ

2010 年 6 月 7 日(月曜日) Posted in 総務部 | No Comments »

火坂雅志さんの連載「真田三代」(信濃毎日新聞)を楽しく読ませて頂いています。 最近の新聞は余り面白くなく、この連載が一番の読みどころです。 この「真田三代」については後日記すとして、今日は火坂雅志さんの著書「武士の一言」から上杉と武田にまつわる一文を紹介したいと思います。 上杉謙信と武田信玄と言えば、竜虎相打つ永遠の宿敵というイメージが強い。しかし、両者が川中島で対陣したのは、謙信が三十代前半、九歳年上の信玄が四十代前半の頃までで、それ以降は直接、戦場であいまみえることはなかった。私はむしろ、激闘を終えた両雄がたがいの力をみとめ合い、友情に似た親愛感を抱き合うようになったのではないかと思う。 元亀四(1573)年、武田信玄は上洛戦の途中、病に倒れて世を去った。死にさいし、信玄は跡継ぎの勝頼を枕元に呼び、 「そなたはまだ若く、経験が不足している。もし何か困ったことがあれば、最後には上杉謙信を頼るがよい。あの男は、けっして非道をせぬ男だ」 と言い残したという。 敵をも魅了してこそ、まことの名将と言えるのではないか。 なんとも深い話です。 実際に、謙信の後を継いだ景勝には、信玄の娘菊姫が嫁いでいます。 川中島合戦のイメージから伝わるものとは随分違った歴史があるのだと思います。 今川、北条連合が関東からの塩の道を閉ざしたのを聞き、 「我は兵を以て戦ひを決せん。塩を以て敵を屈せしむる事をせじ」 (私は正々堂々と合戦をもって勝負をつけたい。塩で敵を屈服させるような、卑怯なまねは断じてしない。) と言って糸魚川から松本に抜ける「塩の道」を閉ざす事はしなかったのです。 群雄割拠の戦国時代、どんな手段をとっても生き伸びようとするこの時代に、このようなフェアな精神で一時代を駆け抜けた上杉謙信を火坂雅志さんは称えています。(火坂さん自身が新潟の出身です。) by K.Terasawa Read more..